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39才と道

 線路の下をくぐり、道なりに進むと緩やかなくだりとなる。重力に背中を押されるように進み、突き当たると海沿いの道にでる。ここは僕の大好きな道の一つだ。

 右手に大阪湾が広がり、潮の臭いを感じながら走る。道幅は普通自動車がすれ違うのに苦労する程度だが、ジョギングをするには快適だ。たまに、磯のおこぼれを狙っているのか、ノラ猫に出会えることもある。そのだいたいは目ヤニが出ていたり、やせていたりする。なんとなく悲しい気持ちになってみたりもするが、彼らはその生活を楽しんでいるようで、僕が横を通っても、一向に気にすることもなく、日向ぼっこをしている。のんびりしていて、全くうらやましい。

 天気がいい日に、この道を走っていると大阪湾の向こうには淡路島がみえる。また、正面のはるかかなたに、くっきりと山の稜線が見えている。

 僕は子供の時から、妄想が好きだ。といっても、変なことを想像するわけではない。もちろん、しないわけでもないが、ここでの話は、ちょっと違う。例えば、電車や車の窓から見えた家や人の生活を、想像するのだ。しかも結構リアルに。

 小学生だった僕は、その景色の中にいるであろう同い年ぐらいの子供を思い浮かべ、その子は

「授業中、手を挙げるのは苦手だ、でも上げないと怒られるかなー」とか、「僕はドッチボールがこんなに得意なのに、クラスのみんなはどうしてそれに気付かないんだろう?」とか考えているに違いない。そして、家に帰れば、兄弟と一緒にお風呂に入ったり、ゲームをしたり、お母さんに怒られて晩御飯を抜きにされそうになったりすることもあるんだろう。でも、きっとその子と僕は一生会うことはないんだろうな・・・・。なんてことを、家族旅行の車の中とかで考えていた子供だった。ただ、この妄想は、非日常の風景をみてやるものと決まっていた。自分の生活圏内と交わるような場所では、その妄想をすることはなかった。

 こんな子供が大きくなると、やっぱり妄想するわけだが、大人はちょっと忙しい。なかなかのんびり妄想するチャンスがないのだが、走っているときは、いい感じに時間があること気づいた。しかもこの道は、はるかかなたの山や海の向こうの淡路島が見える。

この道が大好きな理由の1つはこれである。

(続く)

この話はフィクションです。

・次回予告

 走り始める理由は様々だ。嫌なことをわすれようと走り始めることもあるし、最近テンションが上がらないなーと思い、走り始めることもある。雑念を振り払うために走ることもあるし、迷いを吹っ切るために走りはじめることもある。不思議なことに、走るとしんどいのに、走り始める理由もしんどいことが多い。みんなこうなのだろうか?

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